1989年(平成元年)2月15日、日本人材ニュース創刊号が初代の編集長吉井正英によって創刊されてから、20年を越える発行実績を積み重ね、今年で21年目に入った。
その間、バブル崩壊、ITバブル崩壊の2度の不況とそれを上回るかつてない人材不況を今回経験している。また、健全な人材業界の発展を真剣に願い、辛口批評で定評があった吉井編集長の突然の死去など、幾多の困難な時期を経て、季刊、隔月と形態を変えながらも発行を続けてきた。
創刊2号で吉井は、人材業界に対し「いま業界で①何が問題なのか②将来どの方向に舵をとれば企業側、人材側の信頼に応えられるのか、これらの問題を業界の人々と共に考えてゆきたい。企業人事に向けては、人材業界の正確な情報と必要なデータを提供していく。『企業と人材業界を結ぶ』日本初の人材業界紙である」(要約)と編集方針を述べている。
その基本的な方針は、いまも変わらない。この20年を振り返り、歴史から今日の不況と人材ビジネスの経営の課題を探りたい。(編集長 吉越利成)
企業の中途採用が本格化
人材紹介会社の枠組みが出そろう
本紙が創刊された1989年(平成元年)は、重厚長大型産業からハイテク情報産業に産業構造が大きく転換し、情報化時代に突入した年であった。創刊号をひも解くと、「産業構造のリストラが進むと、それに伴って人の企業間移動が激しくなる。
つまり企業のリストラという地殻変動が起こると、そこによって立っている大勢の人々も必然的に移動せざるを得なくなってくる。これが“人材流動化” 現象であり、今われわれはその時代の幕開けを迎えたばかりである」とある。
ホワイトカラーの転職を支援する機能として、急速に民間の人材会社の役割と使命の重要性が注目され始めた時期であった。当時、企業は産業構造の転換にともない、①技術革新②経済の国際化③高齢化社会の到来④職業観の変化⑤長期安定雇用の修正と崩壊⑥技術者不足の深刻化に迫られ、産業構造の再構築が進んだ。
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